TSUKUCOMM-29
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漢文を、句読点や送り仮名のない白文で見ると、縦横等間隔に揃った文字列そのものの美しさに目を奪われます。さらに声に出して訓読すると、その響きにも魅了されます。視覚的にも聴覚的にも陶酔感がある、それが漢文の最大の魅力だと、塚田先生は語ります。奈良時代に中国から伝わってきた漢文を、私たちは訓読という手法を編み出し、日本語として読んできました。そう考えると、もはや漢文は日本の伝統文化なのです。将来、漢文の知識が役に立つことはないかもしれませんが、言語感覚の中に貯まった漢文の残滓が、知らず知らずのうちに日本語の言葉や文章を鍛えてくれるはず。塚田先生の漢文の授業は、記憶のどこかに確かな種をまいています。「深みのあるお話」…塚田先生の「漢文」の授業を受けている生徒の言葉です。この「深み」は、先生の博学とさまざまな分野への幅広い知識から生まれるものです。長年、本校の為にご尽力されている塚田先生は、多くの生徒から「分かりやすい漢文の授業」をなさる先生として慕われています。多くの知識を高校生に分かりやすく伝えるために指導方法の研究にも多くの時間を費やされ、休みの日には研究会を主催されて、学校外の先生方とも幅広く交流されています。この塚田先生の教科指導に対する情熱は、本校教員の目指すところです。そして何よりも、高校生を愛されています。那須 和子 副校長心理戦の様子が浮かび上がります。野球の攻防になぞらえた先生の解説も相まって、面倒な句法も忘れ、物語としての面白さに思わず引き込まれます。40年にわたって教鞭をとってきた塚田先生は、漢文教育の第一人者として、研修会を開いたり、指南書を執筆するなど、後進の育成に取り組むとともに、自らのライフワークともいえる漢詩の研究にも精力を注いでいます。とりわけ関心を持っているのは、江戸時代後期に日本人女性によって書かれた漢詩です。この頃、江戸では中国趣味が流行していて、漢詩は教養人のたしなみでもありました。中でも、江馬細香という女流詩人の作品にとても惹かれています。女性ならではの感性や内に秘めた情熱を、敢えて硬い字面の漢詩という形で表現する、そのアンバランスさが何ともいえません。確かに、作品には恋愛感情などを想起させる漢字は一つもありませんが、作者の半生を知って読んでみると、そこに隠された色香が漂ってくるようです。こういった漢詩を読み解き、市民講座などで紹介してきました。この研究をさらに掘り下げたいというのが、これからの目標です。か進展しないという現状も語られました。漢文の基礎となる学問の一端を伝えると同時に、大学受験を控えた生徒たちの進路選択の一助になればという思いが込められています。漢文の神髄は、その簡潔さです。ひとつひとつの漢字に深い意味があり、内容が凝縮されたハードボイルドな文体が特徴です。歴史の記録としての側面もあるため、登場人物の細かい心情や情景描写は省かれていますから、字面だけを見ていては、作品を理解することはできません。個々の漢字に込められた意味や、時代背景、先人の研究などの周辺情報を手掛かりに、物語を読み解いていくことが必要です。資料を調べ、根拠に基づいて思考を展開するという作業は、文字学のそれにも通じています。この日の授業では、趙国の将軍、廉頗(れんぱ)と、成り上がりの家臣、藺相如(りんしょうじょ)のやりとりが取り上げられました。「刎頸の交わり」として知られる故事の前段となる場面。表面的には宴席での穏やかな会話ですが、当時の文化や、両者の生い立ち・気質と併せてみると、侮辱や腹いせの応酬で緊迫したTSUKUBA COMMUNICATIONS19

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