TSUKUCOMM-30
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すごい達成感がありました。その後すぐに代表発表があったので、優勝した達成感と次のチャンスを与えてもらえなかった悔しさで、複雑な気持ちでした。でも、それまでの私は、日本チャンピオンだけを目指してやっていて、その先の世界までの頭はなかったんですよね。だから、「自分には世界に挑戦する準備がまだできていなかった。次は、世界で勝つために準備しよう」と気持ちを切り替えて、再スタートしました。世界で勝つためには、自分に足りない部分がいっぱいありましたから。 周りの方々の意見を聞いたり、同級生に支えてもらったりしましたよ。それまでもいろいろなことがありましたが、その度に「なにくそ」と踏ん張ったことが自分を強くしてきたという思いも自分を支えました。私は、悔しさとか負けをバネにして強くなるタイプなので…。 初代表の世界選手権は、どんなものかも分からないまま出て、自分のやり方を貫いて金メダルが取れたので、自分のやってきたことは間違いじゃなかったと思いました。ロンドンオリンピック出場は、9割方無理という状況の中、最後まで諦めずにやり切って、ギリギリで掴み取ったものでした。オリンピックには、世界選手権とはまた違う、独特の雰囲気があります。それを実際に感じられたということは、自分にとって、すごく大きな糧になりました。結果はもちろん悔しいですけれど、自分の集大成だという気持ちで、やり残しのないように準備を重ねて臨んだ結果なので、素直に受け止められました。そして、「自分が経験してきたことを伝えられたらいいな」という思いで、指導者になることを決意しました。 選手の頃から、いつか海外に行きたいと思っていました。ロシア・ナショナルチームの指導では、10日間の合宿に5回参加したんです。指導者になった時のために、世界のスタイルを知りたいという気持ちがあって、お引き受けしました。ロンドンオリンピックで金メダルを3つ取った、乗りに乗っているチームに参加できるということで、すごくワクワクしましたね。コーチと選手のコミュニケーションの取り方や距離感から、技術的なテクニック、試合に臨む考え方まで、全然日本と違いました。どちらがいいということではなく、視野が広がった貴重な体験でした。昨年1年間、大学間の交流で行ったラフバラ大学では、強化クラブではない柔道部にて男子学生を相手に柔道を指導しました。また、イギリス柔道連盟の方々と一緒に各地区の子どもたちや指導者の方々に日本の柔道の取り組み等を披露しました。柔道だけに留まらず、ライフスタイルの中に築かれているスポーツのあり方や価値、文化や言語の違い等についても多くの刺激を受けることができました。 2020年東京オリンピックに選手を輩出することを目指して、約10人の部員と日々稽古を重ねています。自分が経験をしてきたことや、筑波大学で学んだことを伝えていけたらいいなと思っています。日頃、選手たちに伝えていることは、「ただチャンピオンになるための柔道ではない」ということです。柔道の創始者、嘉納治五郎先生は、社会に貢献するという目的で柔道を作ったので、選手たちには、そういうことを感じてほしい。そして、柔道が全てというのではなく、自ら目的を持って自分の人生を全うしてもらいたいと考えています。 筑波大学は、広い分野の一流の先生に出会えますし、何かを突き詰めるための、ものすごくいい環境があるので、学生さんたちには、それを存分に生かして、筑波大学から世界に飛び立ってほしいなと思っています。— ロンドン五輪後、すぐに、ロシア・ナショナルチームの指導に行かれました。そして昨年は、本学の職員として、ラフバラ大学に1年間行かれました。— この10月から、JR東日本女子柔道部のコーチに就任されましたが、どのような指導を心掛けておられますか?— それから2年後に、世界選手権初出場で世界女王となったのですね。ロンドン五輪を振り返っていかがですか?— 最後に、本学と本学の学生にメッセージをお願いします。— 自分自身でそのように切り替えることができたのですか?TSUKUBA COMMUNICATIONS13

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