TSUKUCOMM-30
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西垣:大学に戻ってからは、昔から興味があった「情報と人間」とか「情報と社会」について勉強しました。これらは、「AIの可能性と限界」というようなテーマと、非常に密接に関連するわけです。そのうち、「もともと機械は思考できるのか」というような問題がポイントになってきて。そうなるともう哲学ですよね。そこで、90年代の半ばにフランスに留学して、フランスの現代思想を学びました。中山:もう完全な文系ですね。お父様の影響もあったでしょうし、文系の素養があったのでしょうね。西垣:素養があったかは分かりませんが、もともと好きだったことは確かです。私が最初にコンピュータに出会った頃は、大きいコンピュータを専門家が使う時代でした。しかし、80年代、90年代になると、パソコンやインターネットなどが広まってきて、コンピュータを普通の人が使うようになりました。そうなると、私の書いたものが、割に注目されるようになりましてね。90年代後半に、文系の研究者として、東大の社会科学研究所からお呼びが掛かかりました。その後、東大に、文理融合を旗印にした大学院情報学環というのが新しくでき、私バネティクスやコンピュータに興味を持っていました。それで日立製作所に入って、最初は、OSやデータベースの研究をやっていたのです。中山:理工系中の理工系ですね。西垣:そうです(笑)。日立製作所から、アメリカのスタンフォード大学に客員研究員として留学しました。その当時、人工知能(AI)がブームでした。今もまたブームになっていますけれど…。中山:今は3回目くらいのブームですかね。西垣:スタンフォード大にいた時は2回目の頃ですね。あの大学は、知識工学やエキスパートシステムの本山ですから。この留学が大きな契機となって、「機械に心があるのか」とか、「機械と人間の違いとは何か」というような問題に興味を持つようになりました。その後日立製作所に戻ったのですが、過労で体を壊したことをきっかけに退社しました。中山:それで、明治大学法学部助教授になられたと。ここで文系に転身したのですね。西垣:工学部に行ったらまた忙しいから、教養学部に行ってのんびりやろうと思ったんです(笑)。中山:なるほど(笑)。文系から理系、そして文理融合へ中山:西垣先生とは、情報メディア学会でお会いしますが、ずっと文系の研究者だと思い込んでいました。歴史小説なども出版なさっていますし…。今回略歴を拝見して驚いたのですが、東京大学の工学部を卒業されて、エンジニアとして日立製作所に入られたのですね。西垣:そうなんです(笑)。文系でもよかったのですが…。父が、明治大学の文系の教授で、詩や俳句を作る文人でしたので、文学、歴史、哲学の本などに囲まれた環境で育ちましたから。ではなぜ理系に行ったかというと、大学に進学した当時は戦後の復興期で、「日本は科学技術で国を立て直していこう」という気運があり、「エンジニアになる」というのがはやっていました。それに私も付和雷同したわけです(笑)。私の方が、中山先生より世代的にちょっと上ですよね。中山:8年くらい違うようですね。西垣先生が学生の頃は、学生運動も盛んで、大学が何かと厳しかった時代ではないですか?私は、それがちょうど終わった頃に、こっそりと入った感じです(笑)。西垣:周りには、学生運動をやっている人もいましたけど、私は参加せず、サイ西垣 通 氏1948年 東京都 生まれ1972年 東京大学工学部計数工学科卒業 日立製作所 入社1980年 米国スタンフォード大学に客員研究員として留学1982年 東京大学で工学博士取得1986年 日立製作所退職 明治大学法学部助教授1996年 東京大学社会科学研究所日本社会研究情報センター教授2000年 東京大学大学院情報学環教授2013年 東京経済大学コミュニケーション学部教授中山 伸一 副学長1956年 北海道 生まれ1979年 埼玉大学理工学部化学科 卒業1981年 埼玉大学理学研究科化学専攻 修了 (財)相模中央化学研究所 研究員補1982年 図書館情報大学 助手2000年 図書館情報大学 教授2002年 筑波大学 図書館情報学系 教授2012年 附属図書館長2015年 筑波大学副学長MEMBER PROFILE東京経済大学教授東京大学名誉教授附属図書館長TSUKUBA COMMUNICATIONS03

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