TSUKUCOMM-30
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情報社会や情報技術のあり方を生命の本質から考える西垣:古典的なサイバネティクスというのは「オブザーブドシステム」、つまり、観察されたシステムです。それに対して、ネオ・サイバネティクスは「オブザービングシステム」、観察するシステムです。どういうことかというと、例えば猫を分析するとき、「猫を外から観察する」のではなくて、「猫にとって世界はどう見えるのか」という風に、パラダイムを変えたのです。でもそうなると、本当の猫の世界は分からないわけですよ。中山先生が本当に何を考えておられるかということは、私には分からない(笑)。人間みんな分からない(笑)。そういう中で、お互いコミュニケートし合いながら何らかの情報社会を作っていくにはどうすればいいか、というように考えていきます。中山:視点の逆転、発想の逆転ですね。先日、本学の永田恭介学長が図書館で、学生相手に10分くらいのプレゼンテーは、社会的・人間的な情報の意味処理が対象になるので、情報概念の組み立て方が全く違うんですよね。情報学環では、文系と理系の溝を埋めて、両者を結び付けるような研究を進めていますが、両方やるというよりは、「興味はあるけれど、軸足は理系か文系のどちらか」という研究者がほとんどです。そういう意味では、自分一人で軸足を動かしたのは、私ぐらいです(笑)。ただ、確かに文系にも関わったし、哲学なども少しは勉強しましたけれど、今メインでやっている基礎情報学の理論ベースは理系で、大学の時に興味を持ったサイバネティクスなのです。中山:戻ってきたという感じですね。西垣:私が大学で勉強したのは、ノーバート・ウィーナーが提唱した、古典的なサイバネティクスなんですけど。今の基礎情報学のベースになっているのは、ネオ・サイバネティクスと言って、それがバージョンアップされたような、かなり違う学問になっています。は、設立と同時に参加しました。大雑把に言えば、はじめ理系だったのが、文系に行って、それから文理融合と。ちょうどいいかなという感じですね(笑)。中山:私は大学で化学を専攻していましたが、縁あって、図書館情報大学に行きました。図書館情報大学というのは、図書館短大で文系・社会学系の研究をしていた先生たちと、コンピュータ・サイエンスの先生たちとをマージして、図書館情報学という新しい学問領域を作ろうということで誕生した大学です。私は化学というバックボーンで、脇から入ったものですから、「どう融合していくのか」とちょっと傍観していたところがあったんですが、最初、図書館学と情報学というのは、水と油のごとく、なかなか馴染みませんでしたね。西垣先生のように、「コンピュータをやっていて文学も」という人はあまりいなかったと思います(笑)。西垣:理系では、情報を意味や内容に関係なく形式処理するのに対し、文系でTSUKUBA COMMUNICATIONS04

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