TSUKUCOMM-30
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丸投げして、「本当に大丈夫なのかな」と感じます。コンピュータには身体がありません。プログラムを含めて、全て人間が外部から作り込んだ客観的な情報処理体ですから、価値観がなく、言われたことをやるだけです。一方、生命体は、例えそれが原始的な生命体であっても、自分の価値観で生きています。中山:主観と客観ということですね。生命体は主観的に生きているにも関わらず、今のAI研究は、全ての世界を客観的に捉えるという方向に進んでいっているという。西垣:普通の科学的なパラダイムというのは、当然、主観を入れてはいけません。中山先生の化学の研究なんかもそうでしょう。しかし、心理学や社会学となると、もう少しいろいろ考えた方がいいのではないでしょうか。中山:化学という領域は、けっこう面白い領域で、物理学のようにロジカルじゃないんですよ。理論はありますが、実験して、反応させて見ないとわからないと体の最小単位は細胞で、細胞の集積として我々は生きています。細胞は主体に成り得るけど、ウイルスは主体に成り得ない。機械的な情報も主体に成り得ない。そういう見方は、基礎情報学あるいはネオ・サイバネティクスの根本です。 技術的特異点(シンギュラリティ) について 西垣:先ほど、今はAIが3回目のブームという話が出ましたが、その中心的な役割を果たしているのが、機械学習の一種である深層学習(ディープ・ラーニング)です。これが人工知能のブレイクスルーになるのではないかと言われています。さらに、それに関連して話題を集めているのが、レイ・カーツワイルが提唱している技術的特異点(シンギュラリティ)です。彼は、「30年後に、汎用のAIが人間の能力を超える。それはポスト・ヒューマンだ」と言っています。しかし、人間の決断、意思決定をコンピュータにションの授業をやっていきました。永田学長は、もともとウイルス学の先生で、「ウイルスが細胞に入って、自分を複製して、増殖して出ていくという文章がある。これは間違いである。何が間違いか」と学生に聞きました。その答えは、「細胞がウイルスを取り込んで、細胞がウイルスを増殖させて、細胞がウイルスを出していく。主体はウイルスでなく、細胞である」ということなんですね。「それがウイルス学の原点で、それが理解できると、ウイルスをやっつけるというよりも、細胞がウイルスを入れないような手立てを考えるという発想になる」というわけです。それを情報のアナロジーで考えると、昔は「情報が我々に入ってきて、情報が我々に何かをする」という、情報が主体のような考え方でしたが、これからは、「我々が情報を取り込んで、我々がその情報を何とかする」という見方で考えていかなければいけないんだろうなと思いました。西垣:全くその通りです。人間など生命TSUKUBA COMMUNICATIONS05

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