TSUKUCOMM-34
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本校で社会科を担当されている青松利明先生をご紹介します。御自身、本校の卒業生であり一般企業での勤務を経て本校の教員となられました。現在は主事として高等部の教員をまとめています。しかしそれ以外にも、全日本視覚障害者ボーリング協会の会長を務め大会の運営だけでなく国際会議への参加もこなし、さらには日本視覚障害社会科研究会の中心メンバーとしても精力的に活動されています。高校生の時には、アメリカの普通高校留学も経験し、これまでのキャリアは、まさにグローバルとインクルージョンを地で行っていると言えます。その経験は、後輩でもある生徒たちの教育や指導に大いに活かされています。是非、生徒たちには、この先輩に追いつき追い越して欲しいと切に願っています。石井 裕志副校長との学生と協力して貧困地域の支援などにも取り組みました。就職活動では、国際機関やマスメディアなどを志望しました。しかし当時は障害者の受け入れが進んでおらず、大学の紹介でようやく採用されたのがコンピューター会社でした。母校で社会科の教員を募集していることを知ったのは、システムエンジニアとして活躍していた頃です。進学や就職で様々な困難を乗り越えてきた体験、海外での活動や企業で働いた経験を後輩のために役立てたい、この学校でなら自分の能力を最大限に生かせると考え、教員へと転身しました。穏やかな風貌とは裏腹に、学校では、国際交流部・フロアバレーボール部・ボウリング部と3つの部活動の顧問も務めるバイタリティーの持ち主。今、特に力を入れているのがボウリングです。全日本視覚障害者ボウリング協会の会長、国際視覚障害者スポーツ連盟のボウリング委員会の長という顔も持っています。15年ほど前、視覚障害者スポーツとして始まった頃から普及活動に関わっており、自身も世界選手権に出場するほどの腕前です。最近はなかなかプレーする時間が取れないと嘆きつつも、通勤時のウォーキングで体力を保つことは忘れません。制度的にも技術的にも、視覚障害者のための学習環境は整ってきています。そ訪ね、直接、話を聞いたり体験をしてきます。特別に、貴重な文化財などに触らせてもらえることもあります。ただ見学するよりも格段にハードルの高い活動です。学校に戻ってみんなの経験を持ち寄ると、教科書よりもずっと深い学びになります。子どもの頃の青松先生は、全学年あわせても10名ほどの小さな盲学校に通っていました。クラスで発表会があると、事前に録音しておいたものを流すぐらい引っ込み思案だったそうです。でも、いつしか、もっと広い世界を知りたいと思うようになりました。全国から生徒が集まるこの学校のことを知り、中学入学を機に親元を離れました。さらに普通高校への進学を目指しましたが、受け入れ先はなかなか見つかりません。行き詰まっていた時に、アメリカに行った先輩の話を聞き、留学を決めたのです。現地の特別支援学校に行くつもりで渡米したものの、割り当てられたのは普通高校でした。視覚障害のある生徒は他にもいて、点訳の支援もありましたが、近くにある特別支援学校にも通えるというので、午前と午後に分けて、1年間、両方の学校を体験しました。周囲に日本人はいなく、インターネットもない時代。自然とコミュニケーション能力も培われました。青松先生のチャレンジはまだまだ続きます。大学在学中には海外を巡り、現地の反面、移動やコミュニケーションなど、自立していろいろなことをできるように訓練し、自ら道を切り拓いて社会参加しようとする姿勢を弱めている傾向もあるようです。生徒たちには、社会に対する関心と自分で考える力を持ち、たくさんのことに挑戦して欲しい、そして、そのための手段があることを伝えたいと願っています。引っ込み思案を克服し、多くの壁を打ち破って世界を広げてきた青松先生。そのユニークな道のりこそが、何よりの教材です。TSUKUCOMM Vol.3413

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