TSUKUCOMM-34
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校の仕事に携わる中には、校則違反を犯した生徒や不登校の生徒への対応などもありました。生徒の家を何度も訪ねたり、他の生徒たちにも協力を仰いだりしながら、なんとか対処したものの、それらの経験は、教職課程で学んだこととはかけ離れており、若い教師の心にとても重くのしかかったのでした。 教科を教えることへの情熱は変わりませんでしたが、それ以外の部分で、生徒の一生を左右するような場面に関わるには力が足りないことを痛感し、教育についてもっと深く学ぼうと、大学院に戻ることを決心しました。 それ以来、取り組んできたのは、現場の教育を基礎づける理論の研究です。より良い授業を目指して、教師たち自身も学び、様々な工夫を凝らしていますが、思うようにいかないこともしばしば。どうしても、日々の授業に追われてしまい、ひとつひとつの授業や活動が、教科や単元の中でどのよう 教育が人を変える、とよくいわれます。しかし現実には、家庭や学校でどんな人に出会うかによって、そもそもの教育の前提が変わってしまいます。環境や施設を整えることももちろん重要ですが、学ぶ意欲をかきたててくれるのはやはり、人。そう考えると、人が教育を変える、という側面もまた真だといえるでしょう。教師の責任はますます重大です。■授業者から授業の観察者へ 両親、祖父も学校の先生という家庭で育ちました。就学前から母親が教鞭をとる小学校で多くの時間を過ごし、自らも教育者の道を選んだのは、ごく自然な流れでした。教員免許を取得してすぐに、中学・高校の理科教員として教師生活をスタートしました。各学年の授業を受け持ち、クラス担任も務め、教えることに対する誇りも持てるようになりましたが、その一方で、学■ 人が教育を変える 学校教育、とりわけ初等・中等教育は、子どもたちのその後の人生に大きな影響を与える重要な学びの場です。その中で教師の果たす役割は、勉強を教えるだけにとどまらず、生活態度や集団行動の指導など多岐にわたります。大勢の子どもと接しながら、その一人ひとりとの関係も構築しなくてはなりません。生徒は、好きな先生が教えてくれる教科は好きになります。同じことを学ぶにしても、誰がどのように教えるかによって、結果は大きく異なるわけです。これが教師のやりがいにつながります。 自分自身も、小・中・高校のそれぞれで、理科の先生に恵まれました。好きな先生、頼れる先生だったからこそ、疑問や質問も積極的に投げかけることができました。そのような学びの経験が、後の進路を考える上で大きく影響したのです。得意な教科と苦手な教科―学校での勉強の好き嫌いは、往々にしてその教科を教えてくれる先生によって決まるものです。教え方や接し方には相性があり、自分にとっての「良い先生」との出会いは、学びの対象への興味関心を広げるきっかけになります。どの先生も、より良い教育のために様々な試行錯誤をしていますが、教室全体に常に目を配るのは大変です。子どもたちの学びの実相を捉え、力を伸ばすための支援の方法を、メタ視点から探ります。ともに学ぶよろこび人がつくる教育の神髄を求めてTSUKUCOMM Vol.3405

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