TSUKUCOMM-35
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墨をすり、気持ちを込めて半紙に文字を書くよう指導します。手が汚れること、紙が破けること、そういう面倒を避けずに、むしろ教材として使います。それは生徒たちに対するリスペクトでもあります。ですから、できあがった作品は丁寧に扱い、本物の展覧会のように展示するのです。 大学時代には民俗学を専攻した安達先生。自分自身が双子であることから、かつて日本の各地に、多胎児や障がい児が忌み嫌われていた因習があったことに関心を持ちました。日本人の中にある、自分たちとは違う人を遠ざけようとする意識、それがどこから生まれるのかを知りたかったと言います。教育実習生の指導をしていると、最初は特別支援学校の子どもを怖がっていた学生が劇的に変わっていく様子を目の当たりにすることがしばしばあります。短期間でも、しっかり向き合ってみると、障害がある子どもたちへの理解を深めることができるのです。しかし、社会全体がそのような体験をすることは難しく、学校の中と外には大きなギャップがあるのも事実です。一人ひとりに応じた教育が重要であることは、障害の有無とは関係ありません。特別支援学校を「特別」だと言わなくなる世の中にしていくために、まだまだエネルギーを注ぎ続けます。■支えあって歩み続ける 中学生の頃から体育会系で体力には自信があったものの、仕事と3人の子育てを両立させるには厳しい時期もあり、30年間の教師生活の中で、4回もの大病を乗り越えてきました。闘病生活の後というのは、1回だけでも気力を取り戻すことは大変なものですが、安達先生はそのたびに、もっとがんばろうという気持ちを強くしました。それはやはり、待っていてくれる生徒や保護者がいるからです。互いに支え合っているという実感があります。 母親も同じ学校で教えていたという安達先生は、子どもの頃、この校庭でよく遊びました。高等部の生徒たちに面倒を見てもらいながら、母親の仕事が終わるのを待つこともありました。子育てをしながらフルタイムで仕事を続け、さらに児童文学なども執筆していた母親の姿は、安達先生の生き方にも通じています。家庭で、学校で、人を育てるということに真摯に取り組んできた自らの道のりを、いつか、本にまとめることが、これからの夢です。 安達先生は、本校の女性教員の中心的な存在で、子育てママ先生のお手本のような方です。本校に赴任されてから幼稚部や小学部の教員としての経験が長く、幼児期などに子育てに悩む保護者の相談役として活躍してこられました。実は私も幼稚部で一緒に働いた事があります。学習発表会の細かな脚本、衣装作成に至るまで、幼児の笑顔をより引き出そうと、突き詰める姿勢に教師としての「あきらめない」ことを教えていただきました。最近では教育実習の責任者として未来の教師の育成、また学校全体の人材育成担当と、まさに“育てのプロ”として大いに期待しています。根本文雄副校長“育てのプロ”に大いに期待しています!みんなが輝くサンシャインびにもとがんばろうとう気持ちを強TSUKU COMM 17

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