TSUKUCOMM-35
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■「引きこもり」の実相 学校や職場などの所属がなく自宅に閉じこもっている状態――それが「引きこもり」です。「病気」ではなく「状態」ですから、これに対する呼称もありませんでしたが、大学院生の頃に所属していた研究室では、こういった人々を数多く診ていました。そんな中で、指導教員だった稲村博助教授(当時)が、これらの状態を総称して「思春期挫折症候群」と呼び始めたことで、症状として認識されるようになりました。 「引きこもり」という呼び方の発祥ははっきりしていませんが、1980年代にアメリカで作られた精神障害の診断基準に「Social withdrawal」という記述があり、「社会的引きこもり」と訳されていました。しかしこれも診断名ではありません。ホームレスや家庭内暴力などと同様、医学の対象との線引きが曖昧な、社会不適応な状態という位置づけです。 引きこもりの大半は、不登校だった子供が進学も就職もせず、そのまま同じ生活を続けるケースです。現代社会では異質な人々と捉えられるものの、戦前の日本文学の中には、今でいう「ニート」のような人や、結婚前には親族以外とはほとんど接触しない女性などが、違和感なく描かれています。日本には、社会参加をしないライフスタイルを、ある程度受け入れる文化的土壌があるのかもしれません。■治療の可能性 社会と関わらないというだけで、何らかの治療が必要でしょうか。本人も自分は病気だとは思っていない場合がほとんどです。しかし自然治癒が起こりにくく、放置すれば長期化すること、それに伴って、生活習慣病やうつ病など、健康に悪影響を招くことは実証されています。ただ、孤立した生活の中で、偉大な発明・発見や優れた創作活動をする人もいますから、引きこもりを悪あるいは異常と、短絡的に言い切ることはできません。 しかしながら、本人がなんとかしたいと思えば、治療や支援は可能です。その時に最も有効なのは対話。医師だけでなく、同じような経験をした人たちとの対話も重要です。本人の問題意識の乏しさや家族関係のトラブルなど、共通した課題を含んでいることから、依存症の治療に用いられるグループセラピーのようなスタイルをとることもあります。聴HEADLINETSUKU COMMINTERVIEWTSUKU COMM 05

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