TSUKUCOMM-38
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在学中は材料の研究をしていたそうですね。 高校時代は化学が得意だったのですが、大学生活を通じてクルマ好きになり、自動車エンジニアになるには、純粋な化学では少し方向が違うと思って、材料研究を専攻しました。形状記憶合金の実用化に向けた研究がテーマでした。 私が所属していた研究室は、自動車メーカーとのつながりもあって、そこへ就職するつもりでした。それで、その会社に勤めていた先輩に、仕事の様子を聞いてみたんです。すると、太陽電池の研究をしているということでした。自動車メーカーに入っても、自動車の開発に関わるとは限らないというのはショックでした。 就活を控えて将来について改めて考えていた時、趣味で購読していた自動車専門雑誌に、その編集部の新人募集の告知がありました。とにかくクルマに関わる仕事がしたかったので、迷わず応募しました。その頃、東京を拠点とするクルマ好きの人たちの集まりに入っていて、メンバーや彼らの所有するクルマを紹介するためのウェブマガジンを立ち上げて、実験の合間に記事を書いたりしていたのですが、それが出版業界での即戦力として認められたようです。指導教員や友人には呆れられましたけど。学生時代のクルマとの出会いが大きかったのですね。 筑波大は「学際的」ということで、学部の枠にとらわれずに、いろいろな授業が受けられると聞いていましたし、江崎玲於奈さんが学長でしたから、きっと何か違うことをもたらしてくれると期待して入学しました。 けれども実際には、必修科目がたくさんあって、本当に興味のある科目を履修するための時間のやりくりはとても無理。年中試験に追われて、思い描いていた学生生活とはかけ離れた日々でした。友人たちと励まし合いながらも、サークル活動や学園祭などに参加する気力もなく、留年せずに卒業する、それが目標になってしまっていました。 そんな時に、スーパーマーケットの掲示板で、ボルボを50万円で売ります、という張り紙を見つけたんです。当時としては破格に安かった。それをきっかけに、安い中古車を探しては、半年毎ぐらいに乗り換えるようになりました。その頃は交通の便も良くなくて、つくばでの生活に車は必需品。親戚から譲り受けた外車に乗っているような学生も多かった、そういう状況がひとすじの光を与えてくれました。クルマを扱うことは同じでも、エンジニアと出版とでは関わり方が随分違います。抵抗はありませんでしたか? その自動車専門雑誌は、研究用の機材を使って自動車の性能計測をするような、ちょっとアカデミックな商品テストを目玉にしていまし自分を信じて、好きな分野を突き進むTSUKUBAOBOG08 TSUKU COMM

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