TSUKUCOMM-38
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た。メーカーとは違った視点で自動車のスペックを批評する、そういう精神があって、エンジニア的な関心も十分に満たしてくれる職場でした。 エンジニアだと、個々の部品に特化した研究になってしまいますが、雑誌では自動車をトータルに扱います。F1から燃料電池車まで、あらゆるメーカーのあらゆる車種に乗ってみることができるし、性能や使い勝手を追求したいクルマ好きにとっては最高の仕事ですね。ただ、編集部では6~7年ぶりの新人ということで、早朝から撮影用の車を磨かされるなど、最初の数年間はとてもきつかったです。それでも、20代後半で新しい雑誌の創刊を任されたり、最終的には学生時代に愛読していた老舗雑誌の編集長も務めることができました。出版の世界で活躍していた最中に、新しい職種への転身を図られました。きっかけはどんなことだったのでしょう? 編集長を3年半ほどやってみて、やりたいことはやり尽くした、という感じがありました。社内での内紛もあったりして、そろそろ別のことをやってみたいという気持ちになっていたところへ、雑誌編集を通じてお付き合いのあった2つの自動車輸入会社からお声がけをいただきました。そのうちの1社が現職です。 現在は、広報部長としてテレビ・雑誌・新聞などのメディア対応に携わっています。転職とはいっても好きな自動車の世界ですし、出版業界での経験や人脈が生かせる転職です。外資系ということもあって、要求は厳しいですが、チャレンジングな仕事です。キャリアを築いていく上で、筑波大での経験は生きていますか? 筑波大はいろいろな意味で鍛えられる場所です。多くの学生は地元を離れて、自分の生活を確立することから始めます。お金や時間の使い方を計画し管理しなくてはならないし、授業をサボるにしても、その分のノートを借りるなどの手配が必要です。自分の好きなことばかりもしていられません。そういう状況に置かれると、人はたくましくなります。私も、そんな中で鍛えられたという実感があります。 また、筑波大は他の有名大学に比べると典型的なイメージがなく、色眼鏡で見られたり、変なプレッシャーを感じることがありません。これも、社会に出てみて感じる居心地の良さだと思います。筑波で学ぶ後輩たちに向けてメッセージを。 卒業までの間に、みんなそれなりにいろいろなハードルを越えて、鍛えられています。だから、自分は勝ち上がれる、選ばれるべき人間だと信じてほしい。その自信を糧に突き進んでいけば、きっと何かを成し遂げられると思います。自動車専門誌「カーグラフィック」編集記者を経て編集長を務めたのち、フィアット・グループ日本法人にてフィアット・ブランドのマーケティング全般を担当。ビー・エム・ダブリュー株式会社に移籍し、広報を担当する。2016年より広報部長に就任し、日本法人の広報活動全般を統括しミュンヘン本社との調整にあたるほか、Executive Committeeの一員として同社の運営全般に携わる。PROFILEたなかせいじ東京都生まれ筑波大学第三学群基礎工学類卒業  同  大学院工学研究科中退1975年1997年1999年ビー・エム・ダブリュー株式会社ディレクター・広報部長田中誠司氏40歳になったら惑うなかれ、というのが昔からの教えですが、いまどきは40こそが悩み苦しみの始まりなのではないかと思います。突如やってくる幸・不幸にいつでも対応できる力をつけたいですね。ドイツの自動車メーカーBMWの日本法人で広報部長を務める田中誠司さんは、自動車エンジニアを目指して筑波大に入学しました。しかし、学生生活の中でクルマとの付き合い方を広げ、別の側面からクルマと関わる道を選びました。TSUKU COMM 09

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