TSUKUCOMM-39
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日本開催などが続き、日本サッカーが勢いづいた時期でしたから、みんなのモチベーションも高かったですね。 自分自身もいくつかのチームでサポートをしているうちに、U-17、U-20日本代表などを指揮する機会に恵まれました。その後、日本代表に選出された優秀な選手が大勢いましたから、やりがいがありました。ご自身のサッカー界における役割や責任も随分変わっています。これからの目標はなんでしょうか。 日本でのワールドカップのあと、当時のサッカー協会会長だった川淵(三郎)さんから、技術委員長に指名されました。監督を決めたり、現場を統括する役職です。ユースの育成がすごく楽しかったので少し迷いましたが、自分がそれまで種を蒔いてきたことの集大成になると考えて引き受けました。専務理事というアドミニストレーションの立場になると、グラスルーツから国際試合まで、また、フットサルやビーチサッカーも含めて、日本のサッカーの全てに関わります。自分にとってのチャレンジでもありますね。マーケティングや財務などにおいても、サッカーに精通しているからこそわかることがあると思うんです。サッカーには様々なレベルで多くの人が動いていて、その全体を束ねるのは難しい。もちろんいろいろな人との協力も必要です。そこで役立っているのは、コーチ学や指導者養成の経験です。人をマネジメントすることは、チームをまとめるのと同じです。各国が追い上げてくる中、チームが強くないと応援もしてもらえません。目指すのは世界一、それだけです。筑波での学生生活を振り返って、今の学生たちにエールを。学ぶことが本当に楽しく感じたのは、大学院に戻ってからですね。漠然と考えていたことが腑に落ちたり、疑問が解決したり、まさに目から鱗の連続でした。学び直しができる環境があるのは、筑波大の良さのひとつです。大事なのは世界に目を向けることです。サッカーも、海外で活躍する選手が増えました。でも選手や監督の力だけで勝てるわけではありません。同じように、どんな分野、職業でも、各人が世界一を目指さなければ向上しないし、その意識をなくしたらつまらないでしょう。戦う相手は世界です。1964年の東京オリンピックをきっかけにサッカーに興味を持つ。筑波大在学中に日本代表選手に選出され、1980年、古河電気工業株式会社に入社。その後は筑波大大学院およびケルンスポーツ大学で本格的にコーチ学を学び、西ドイツサッカー指導者ライセンス、JFA公認S級コーチライセンスを取得。2001年、U-17日本代表監督として世界選手権大会優勝。JFA理事、専務理事、副会長を経て、2016年より現職。FIFA理事、アジアサッカー連盟理事。東アジアサッカー連盟会長も務める。PROFILEたしまこうぞう熊本県生まれ筑波大学体育専門学群卒業  同  大学院修士課程体育研究科修了1957年1980年1987年公益財団法人日本サッカー協会(JFA)会長国際サッカー連盟(FIFA)理事筑波大学客員教授田嶋幸三氏TSUKU COMM 09

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