TSUKUCOMM-40
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●「自転車で20分」圏内の豊かな日常ブラジルの南部パラナ州クリチバで生まれ、アメリカ、イギリス、日本といろいろなところに住みました。その中で、つくばが一番、性に合っています。自転車で20分の範囲が、ほぼ私の生活圏。卒業研究のほか、留学生支援や起業に向けた勉強会、アルバイトなど、いつもたくさんの荷物を抱えて動き回っているので、効率的に移動できる環境は、今の私にピッタリです。それでいて、大学に近いアパートでも比較的静かで、木々がうまくキャンパスとの境界になっているので、オンとオフが切り替えられます。私は人間学群で社会心理学を学んでいます。課外活動として、大学の学生交流課が開設している「Ask Us Desk」で、履修申請に関することや、生活の困りごとなど留学生からの相談を受けたり、学外では、留学生の起業を支援する活動をしています。私自身も、起業家育成セミナー「筑波クリエイティブ・キャンプ」や次世代アントレプレナー育成事業「Global Tech EDGE NEXT」といった、大学のプログラムを活用して、起業の準備をしています。●日本からブラジルへ広島県呉市の公立小学校に通っていたので、自然に日本語が話せるようになりました。呉市の中でも私の住んでいた広町はのどかなところでした。小さな商店街や、みんなと遊んだ路地、教会など、今でもよく覚えています。しばらくして日本を離れ、ブラジルに戻ったのですが、タイミングが悪かったこともあって現地の高校に編入せず、ブラジルの大学入学認定試験を受けて、パラナ連邦大学(UFPR)の芸術学部に進学しました。UFPRは、故郷クリチバにあります。平均気温がおよそ17.5℃、緩やかに寒暖の差があって南米でも比較的過ごしやすい都市です。イタリア系とウクライナ系の移民がほとんどを占め、町の雰囲気からブラジルのヨーロッパとも言われています。UFPRのキャンパスは筑波大とは違って、市内に建物が点在しています。クリチバの中心サントスアンドラ広場にある校舎は、1912年に建てられた、ブラジルの大学の中で最も古い建物です。ブラジルでは通りに、歴史的に重要な日付や人の名が付けられることが多く、UFPRを起点とした歩行者専用の大通りは「11月15日通り(キンゼ・デ・ノベンブロ)」と言います。1889年のこの日にブラジルが君主制から共和制への移行を宣言したことから、国の記念日にも制定されています。このあたりは、ポルトガル植民地時代の建物や軍の停留地だった場所が社屋や商業施設として使われていたり、昔の駅舎がショッピングモールになったりしていて、とても趣があります。●学びを求めて、再び日本へUFPRは日本の国立大学にあたり、本来なら学費はかからないのですが、工学、医学、法律などもともとある学部とは違って、新しくスブラジル連邦共和国学生同士なので、なんでも質問ができるのがAsk Us Deskの魅力です留学生と日本企業をつなぐ拠点「グローバル・インキュベーション・カフェ ピーチ」では、セミナーや交流会など企画運営しています留学生が輝く大学に筑波大学には、100を超える国から、約3千人の留学生が訪れています。このコーナーでは、本学の留学生から、出身国の自慢の場所や風景、食べ物など、多岐にわたって紹介していただきます。

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