TSUKUCOMM-41
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やって言語の変換という複雑な作業が行われ、知恵や思想を共有することができたのでしょうか。私たちの想像以上に、人や文化の交流は盛んだったのかもしれません。そのプロセスを知るヒントがこの資料の中に隠れているはずです。この時代の人々が、ブッダの教えを巡って、こんなにも多くの書物を書き残したということ自体も驚きです。そこには、その時代の政治や文化などの社会的背景が反映されており、その中でどう生きるべきかを悩み、あれこれ考え抜いた様子もうかがい知ることができます。時には、その書物を書いている人の気持ちまで、手に取るようにわかることもあります。古い資料を読み解くのは地道な作業で、一生をかけても何冊も読み進められるわけではありませんが、過去の人々と対話しているような、ワクワクする瞬間がたくさんあります。■仏教研究を通じた他者理解仏教のような東洋思想は、欧米でも大いに研究されています。筑波大学では、ドイツのハンブルク大学からインド学・チベット学の教授3名をユニットとして招致しました。ユニークなのは、この3名が、ドイツ人・日本生まれのアメリカ人・ブータン人と、多様な背景を持っていること。ここに日本人研究者も加わって、国際色豊かな研究環境が整っています。新たな資料の発見は、仏教研究における世界的な連携協力へのニーズを高めます。その拠点となるべく、精力的に研究教育を推進しています。未読の資料が研究されれば、仏教について、これまでとは全く異なる考え方が見つかるかもしれません。しかし、そのことで現在の宗教としての仏教が変わるということはないでしょう。仏教研究はむしろ、思想研究、あるいは一種の他者理解と捉えるべきです。ブッダが本当に何を語ったのか、直接確かめることはできません。しかし残された資料の中で人々は、ブッダのように安心を得るために、些細なことをとにかくたくさん考え、いろいろな行動を試みています。またそれが書物として読まれていたということは、さらに多くの人々が、生きる上での指針を求めていたわけです。そこには、遠い昔のことでありながら、現代人とも共通するものが感じられます。

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