TSUKUCOMM-42
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は、復興と平和が常にキーワードに掲げられます。日本人にとってオリンピックは、震災や戦争から立ち直るための糧でもありました。■国民体育という思想柔道の創始者として知られる嘉納ですが、国際オリンピック委員への就任を要請されたのは、日本ではまだスポーツという概念もなかった時代に、その普及に努めた功績からというべきでしょう。嘉納は体が弱く、いじめられていた悔しさから柔術を始めました。すると、短気な性格が落ち着き、物事を俯瞰できるようになりました。この体験から、柔術を世の中に広めようと考えましたが、流派がいくつもある上、師匠から弟子へ、口伝で技を伝えるのでは限界があります。そこで、技やルールを文字に書き起こし、体系化して、柔道という新たな競技に発展させました。折しも、知育・徳育・体育という三育主義がイギリスから導入され、これらを兼ね備えた教育ツールとして、柔道は最適でした。嘉納の弟子たちは、海外に渡って柔道を広めました。柔よく剛を制す、相手の力をうまく利古代ギリシャから東京へ日本人はオリンピックに何を求めてきたのかアスリートはもちろん、開催地や観戦者にとっても特別なイベントであるオリンピック・パラリンピック。日本では、2020年の東京大会を含めると、夏・冬合わせて4回も開催されており、これはアメリカ、フランスに次ぐ多さです。元来は宗教的な意味合いを持つセレモニーであった古代オリンピックが、スポーツや文化の祭典として近代ヨーロッパで復活し、さらにこれほどまでに日本で受け入れられた要因は何か、歴史研究から探ります。体育系真田 久教授Hisashi Sanada

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