TSUKUCOMM-42
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芸術研究科修士課程中退後、1985年よりフリーに。1992年(有)鈴木成一デザイン室設立。 1994年講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。エディトリアルデザインを主として現在に至る。「鈴木成一装画塾」講師。 筑波大学人間総合科学研究科非常勤講師。 著書に『装丁を語る。』『デザイン室』(いずれもイースト・プレス刊)、『デザインの手本』(グラフィック社)PROFILEすずきせいいち北海道生まれ筑波大学芸術専門学群卒業1962年1984年ては作品になりません。当時はまだ、パソコンもプリンターもなくて、製版や写植など、印刷屋がする作業を全部自分でするわけですが、筑波大にはそのための機材、しかもかなり高価で大型のものまで揃っていて、ほぼ使い放題でした。その環境は本当に良かった。おかげで、印刷表現のあれこれをたくさん学びました。デザインに限らず美術の各分野を極めた先生もたくさんいて、とても刺激を受けました。とはいえ、筑波大に進学するとは思ってもいなかったんです。高校では美術部の部長をやっていて、美術系の進路を希望していましたが、経済的に私立大は厳しいので、漠然と芸大を目指していました。高校当時の担任から推薦枠があると聞いて、初めて筑波大を知ったんです。だから行ってみてたまげました。田舎にもかかわらず巨大だし、近代的だし。本気でやってみようという気持ちになりました。哲学書からタレント本まで、あらゆるジャンルを手がけていらっしゃいます。装丁で大切なことはなんでしょうか。本を出版するというのは、どんなジャンルであれ、それが今、世に広めたいものだということです。書店で平積みになったときに単に目立たせようというのではなくて、その本がまさにこのタイミングで存在することの意味というか、リアリティを与えることです。それを目指して、イラスト・写真・文字などあらゆる素材を総動員します。ですから中身を読むことは必須です。子供の頃は読書は嫌いだったんですけどね。難解で、ちっとも理解できないこともありますが、そういう時は、一読者としての居直りにも近いアイデアがどういうワケか降ってきたりします(笑)。原稿が何百枚、長編小説によっては千枚を越えたりで、割りに合わないような気もしますが、これはもうこの仕事の宿命ですね。お陰様で休日のゲラ読みは欠かせません。もちろん、なかなかビジョンが浮かばなかったり、踏ん切りがつかないこともあります。でも装丁はあくまでも仕事で、自分の作品としてこだわるべきではないと考えています。その線引きとなるのが締め切りであり、著者や編集者のリクエストであり、また内容そのもので、そこから求められるかたちが見えてきます。自ずと客観的な立ち位置になれるんです。長年やってきて、作家性を追求するより、与えられた企画の中で最善を作り出す方が、自分には向いていると感じています。これまでのキャリアを振り返って、後輩たちにどんなことを伝えたいですか。先日数えてみたら、これまでに装丁した本が1万数千冊になっていました。もう30年以上になりますから、ほぼ1日に1冊の計算ですね。多い時には年間800冊も引き受けたでしょうか。今は、基本コンセプトの指示と最終的な意思決定は自分が行いますが、実作業は7人のスタッフが担当しています。常時、30冊ほどを並行して進めています。実はこの仕事を始めて10年目ぐらいの頃、辞めようかと迷ったことがあります。目立たない仕事ですし、そのまま続けていていいのか、よくわからなくなったんです。ちょうど、大学の講師にならないかという話もあって。そんな時に講談社出版文化賞のブックデザイン賞をいただきました。それでやっと、デザイナーとしての自信と自覚を得た気がしました。自分は何者か。いろいろな世界に触れ、地道に経験を積み、他者とのぶつかり合いの中で刺激を受けることで、自分のアイデンティティを獲得できるんだと思います。それはまさに、自分の中心に向かって掘っていく作業で、そうやって自分の生き方を削り出していくしかありません。そう実感できるようになったのはここ10年ぐらいのことです。若いうちはまだ何者でもない。知ったかぶりをせず、積極的に物事に挑みながら地力をつけてほしいです。

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