TSUKUCOMM-43
9/24

ビーが強いところということで、迷わず筑波大を選びました。筑波大には高校の先輩もいて、楽しそうな大学だという印象もありました。でも医学部は受験に失敗してしまって、すでに一浪していたので、他大学の医学部に行くか、浪人するか、ラグビーを取るか、の選択になった時に、やっぱり筑波大でラグビーをやりたくて、医学部以外で何か将来に活かせることを学ぼうと思いました。今の時代はどの分野でもコンピュータの技術が必要で、この先、医学の道に進んだ時にも、その知識をしっかり学んでおくことが役に立つと思って、情報学群に進学したんです。スポーツでもいろいろな場面でITが使われていますしね。学生時代は、どんなふうに競技と学業を両立させていたのでしょうか。部活との両立はそれほど大変でもありませんでしたが、代表選手になってからは、なかなか授業には出られない時期もありました。でも、単位がしっかり取れるように、試験の時などは友人たちが協力してくれました。苦労しましたけど、卒論もちゃんと仕上げることができました。つくばは田舎ですが、それも含めて楽しく過ごしました。みんなでボーリングに行ったり、馴染みの定食屋さんなんかも応援してくれたり、遊びも含めて良い記憶ばかりです。ラグビー部は体育会系なのにとても自由で、組織の完成度というよりも、個々の選手の魅力が際立っていて、それが試合にも生かされていたと思います。ラグビーという競技自体、あまり上下関係のない風土なんですけど、1年の時から試合に出たり、代表選手に選ばれたりしても、みんなずっと変わらない態度で接してくれました。自分はキャプテンというキャラでもないし、純粋にラグビーを楽しめる場所でした。ここまでラグビーを極めた上で、やはり医師を目指すというのは、かなり強い決意ですね。ラグビーはあと2年でやめようと決めています。年齢的にも、キャリアの切り替えができるギリギリのところですしね。パナソニックに入った時も、最初からその条件でした。でも、終わりを決めているからこそ頑張れるという面もあります。後悔しないように、自分にできることをやりきりたいと思います。みんなの記憶に残るような選手になれればいいんですけど。父や祖父など家族に医師がたくさんいたこともあって、自然と子供の頃から医師に憧れていました。医師になるように強制されたことは全くなくて、好きなことをやっていく中で、自分の意思で決めました。いまだにそれ以外に進みたい道は見つかりません。特に、内科医だった祖父の影響が大きく、「能力がある人間は、それを社会のために還元しなくてはならない。お前にはそれができる」と言われたのが強く心に残っています。ラグビーと医師の両方で、そういう生き方ができたら、と思っています。選手のキャリアパスとしては、コーチや教員になるという選択肢もありますが、そういう指導者的な立場ではなく、医師としてラグビーに関わり続けたいと考えています。選手の気持ちもわかりますし、トップレベルで競技をした経験のある人が持つ説得力というのもあると思います。自分にしかできないことをやりたいんです。筑波大の後輩たちに向けて、是非メッセージを。筑波大学には、自立できるかどうかが、自分自身の成長に大きくつながっていく環境があります。だから、何かしらやりたいことを見つけて、それに向かって一生懸命になることができれば、確実に成長できます。なかなか簡単なことではないかもしれませんが、自分はこれを頑張ろう、ということを一つでも決めて、大学生活を過ごして欲しいと思います。第49回(2014年)、第50回(2015年)の全国大学選手権で筑波大学ラグビー部準優勝に貢献。情報学群4年次在学中に、ラグビーワールドカップ2015の日本代表に選出。2016年、パナソニック ワイルドナイツ加入。同年7月、リオデジャネイロオリンピック7人制ラグビー日本代表選出。さらに同年11月にはスーパーラグビー サンウルブズに加入。パナソニック ワイルドナイツでのポジションは、ウイング(WTB)。2019年ラグビーワールドカップ日本代表候補。PROFILEふくおかけんき1992年  福岡県生まれ2016年  筑波大学情報学群卒業

元のページ  ../index.html#9

このブックを見る