TSUKUCOMM-47
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進学を諦めたことがあったらしくて、息子が筑波大を目指すことを喜んでくれて、自分も気持ちが固まりました。高校時代から、アダム・スミスやマルクスの考え方に興味があって、経済学を学ぼうと社会学類を受験しました。受験で初めて訪れた筑波大は、広大な敷地に新しい校舎が立ち並んで、宇宙基地のようでした。建設中の建物もあって、キャンパスに勢いを感じましたね。入学して最初の授業で、資本主義社会の基本構造について、故降旗節雄先生のとてもわかりやすい説明を聞いて、これを勉強したい、と心から思いました。20人ほどの学生に対して教員が10人ぐらいいて、学ぶ環境としてもとても恵まれていたと思います。真面目に勉強しましたよ。学生生活の印象的な思い出を聞かせてください。平砂宿舎に住みました。新しかったし、当時の学生寮には珍しい個室で、快適でした。共用棟にスーパーや銭湯もあって、そこに依存して暮らしていました。自分の時間を拘束されたくなくて、部活動などもせずに、いろんなアルバイトをしました。塾の講師から新聞配達、ホテルのボーイ、旅行の添乗員、排水管の掃除、ラーメン屋、ビニールハウスの骨格作りまで、今思えば良い経験でした。アルバイトでお金を貯めては、北海道旅行に行きました。2週間ぐらいかけて、周遊券を使って、ユースホステルや列車の中に泊まって、という貧乏旅行ですが、離島へ行ったり、流氷を見たり、とにかく広々した北海道が好きでした。今の仕事も運命だと感じます。卒業後の進路についてはどのように考えていましたか。経済学の勉強を続けたくて、4年生の夏までは大学院に進学するつもりでした。ただ、先生や先輩と話しているうちに、将来の生活の基盤が得られるか、自信がなくなって、結局、就職することにしたんです。いろいろ調べて、調査研究に力を入れている日本開発銀行(現日本政策投資銀行)の面接を受けました。在職中、調査研究を担当することはなかったのですが、振り返って、この選択は正解だったと思っています。一方で、大学院進学への思いを諦めきれずに、2006年から東京キャンパスの社会人大学院に通って、経営学修士を取りました。仕事との両立は大変でしたが、40代後半でようやく夢を実現できました。このタイミングだったからこそできたのかもしれませんね。母校に通えるというのも嬉しかったです。仕事の自信にもつながりました。経営者として、これからどんなことをやっていきたいですか。大手航空会社でも格安航空会社でもない特徴、独自性を出すことが重要だと考えています。つまり、路線や運賃、サービスなどすべての面で、徹底的に「北海道の翼」にこだわって、北海道の観光や経済に貢献していくことです。そのために、将来は国際線も運行したいですね。農閑期の海外旅行やロシアとの交流など、北海道ならではの需要があるので、現在、チャーター便の運行実績を積み重ねているところです。大手に比べれば不利な状況もありますが、誇れる独自性があれば、それは跳ね返せると思っています。筑波大で学ぶ後輩たちにエールを。学生には、新しい情報や目先の就活などに惑わされず、じっくり考える力をつけて欲しいですし、大学にはそのためのカリキュラムを整えて欲しいです。世渡りのためのスキルやノウハウではなく、それぞれの専門分野から今の社会を一生懸命見つめて、骨太な見識を養うことが大事です。筑波大にはそれができる環境があるし、愚直でも素朴でも、本物を目指すというのが筑波らしさだと思います。PROFILEくさのすすむ1960年  東京都生まれ1983年  筑波大学第一学群社会学類(経済学)卒業卒業後、日本開発銀行(現株式会社日本政策投資銀行)入行し、プロジェクトファイナンス部長、都市開発部長、常務執行役員、取締役常務執行役員を歴任。この間、筑波大学社会人大学院に通い、2007年に経営学修士を取得。2015年、株式会社AIRDO顧問に就任。同社代表取締役副社長を経て、2019年6月より現職。本社のある札幌と東京を行き来する生活を送る。趣味は、俳句、街歩き、ゴルフ、お酒少々。

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