TSUKUCOMM-53
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09どうしたら芸術家として生きていけるかを考えていました。今ならネットを使っていろいろなプロモーションができますが、当時は、そういうものはなかったですから。 アーティストとして独立するきっかけになったのが、ソニー・ミュージックエンタテインメントが主催していたアートアーティストオーディションです。当時はマルチメディア時代の始まりの頃でしたから、ただの芸術家で応募してもうまくいかないと思って、インチキベンチャーみたいなものとして、兄と二人で明和電機を立ち上げたんです。自分で自分に就職したということですね。 明和電機というのは、子供の頃、実家でやっていた電子部品を作る会社です。倒産してしまったのですが、昭和の経済成長期を思わせるようなダサカッコ良さを狙って復活させました。それが良かったのか、グランプリをとってデビューしました。将来の野望はありますか 究極のおもちゃを作りたいですね。おもちゃというのは、人にあげたくない、自分が遊びたいものということです。それが何かはまだ分かりませんが、とにかく徹底的に考えて、自分が面白いと思えるものは、絶対に他の人も面白いという自信があります。馬鹿馬鹿しいものをできるだけ精度良く、真剣に追求していきたいですし、ナンセンスマシーンのような表現が、どのくらい普遍的なのかを検証したいという欲求も強いです。 10年後に自分がどうなっているか、ビジネスマンならそういうビジョンがなくてはなりませんが、アーティストはとにかく変化し続けることが重要です。10年後には、なにかとんでもないものになっていたい、と思います。世の中の流れや変化に応じて柔軟に変わっていきたいんです。変化するというのは、ボールの上でぐらぐらしながら立っているようなもので、じっと動かないでいたら転んでしまいますよね。最後に、後輩へのメッセージを 初めてつくばに来た時、自分が生まれ育った瀬戸内の風景とはあまりに違っていて、月面基地に来たみたいな孤独感がありました。でも結果的にはそれが自分には合っていました。学生時代は自分に向き合える時間がたっぷりあって、自分の内面を見つめて、自分の芸術を作り上げることができました。今はネットで調べればすぐに答えがわかるし、失敗しないためのハウツーもたくさんありますが、それで安心してしまってはいけないと思います。東京に比べればつくばにはまだ孤独が残っていますから、それを利用して自分とは何かをじっくり考えてほしいです。PROFILE とさ のぶみち1967年 兵庫県生まれ1991年 筑波大学芸術専門学群卒1992年 筑波大学芸術研究科修了1993年 兄正道とともに明和電機としてソニー・ミュージックエンタテインメントからデビュー。青い作業服を着用し作品を「製品」、ライブを「製品デモンストレーション」と呼ぶなど、日本の高度経済成長を支えた中小企業のスタイルで、様々なナンセンスマシーンを開発しライブや展覧会など、国内のみならず広く海外でも発表。2009年に発売した音符の形の電子楽器「オタマトーン」は、累計売り上げ数100万本の大ヒット商品(2021年8月時点)。(撮影:三橋 純)兄の正道(右)とのツーショット (撮影:三橋 純)現する(撮影:三橋 純)

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