TSUKUCOMM-55
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08自然学類のご卒業ですよね。 落語とはだいぶ違いますが。 出身が静岡県沼津市で、小さい頃から、いつか東海大地震がくるとずっと言われていたし、富士山も近いので、地震や火山の災害を研究したいと思っていたんです。でも当時、地球科学を謳っていた大学は意外と少なくて、筑波大に進学しました。ところが3年生で専攻を選ぶ時になって、地震の研究なら東大だと言われちゃって…。それで、他を探したら、地球科学の中の人文地理学が面白そうに見えました。どちらかというと文系に近い分野ですが、性に合っていたと思います。 学生時代は真面目でしたよ。遅刻もせず、3年で必要な単位は全部取り終わって。2年生からはギター・マンドリン部でギターを弾いていました。ギターというとスペインが本場ですけど、南米も盛んで、ブラジル音楽にのめり込みました。ブラジル音楽は、いまでも好きでよく聞いています。学生時代は落語と無関係だった? 若気の至りというか、サークル活動の影響で音楽を仕事にしたいと思うようになって、就活をしないまま卒業してしまいました。その後、2年ほどつくばに残って、音楽の道を探ったんですけど、結局、沼津に戻りました。そしたら、別の大学に通っていた弟が卒論を書いていて、テーマが落語だったんです。漫才やコントなら分かりますけど、落語ってなんだと思って、ちょっと調べてみました。何も知らなかったので、図書館でCDを借りる時に、落語コーナーのうち、いちばんたくさんCDを出している人が第一人者だろうと選んだのが三遊亭圓生師匠でした。圓生師匠の音源を聴いて、表現としての落語の凄さに圧倒され、落語家になろうと決意しました。それなら圓生師の流れをくむ人に弟子入りしようと門を叩いたのが今の師匠、三遊亭圓橘です。 手紙を出したり、自宅に押しかけたりして、1年がかりでやっと弟子入りできました。師匠はなんとか諦めさせようとしたみたいですが、逆に気持ちが高まっちゃって。入門できないとは全く思っていなかったですね。両親も最後は、やりたいなら仕方ないと。上下関係の厳しい世界ですよね。修行はつらくありませんでしたか? 落語の稽古は口伝で、台本などは存在しません。目の前で師匠や兄弟子にやってもらってそれを録音します。何度も聴いて覚えたら今度はそれを師匠に聴いてもらい、これなら高座でやっても良いだろうとの許しを得て初めて持ちネタとなります。うちのTSUKUBA ALUMNI落語家三遊亭 朝橘師思い込んで、のめり込んで

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