TSUKUCOMM-58
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大学でフランス語を学ぼうと思った 理由はなんですか。言語学と和菓子、どのように 結びついたのでしょうか。©Taisuke Yoshida株式会社虎屋 取締役 トラヤフランス 支配人08パリ店の責任者として、日々、 どんなお仕事をされているのですか。 日本では、虎屋というと物販のお店という印象だと思いますが、パリでは、サロン・ド・テ、つまりイートインがメインの飲食業です。私はお菓子を作ること以外の会社の運営全般を担っていますが、店舗の状況に応じて、接客などを手伝うこともあります。従業員は全体で13名で、日本人とフランス人が半々ぐらいですね。和菓子職人は日本から来てもらい、あんも、日本と同じものを使っているんですよ。 1996年に赴任した当時は、日本からの観光客など、日本人のお客様が今より大分多かったですが、アニメやゲームなどをきっかけに日本への関心が高まったり、健康志向で和食が注目されたりして、今では、パリジャンを中心とする欧米のお客様が9割ほどを占めています。豆を甘く煮る、という食べ方は欧米にはありませんが、和食のデザートとして和菓子の認知も広まったようです。 開店は1980年で、その前年にフランスで開催された菓子の博覧会に和菓子を出品したら非常に好評だったというので、先々代の当主が、すぐにパリへの出店を決めたそうです。虎屋は京都が発祥で、文化を重んじるところが、パリと共通することもあって、日本の文化を伝えたいと考えたのかもしれませんね。 高校の頃から外国や異文化にとても興味があって、いつか外国で仕事をしたい、と思っていました。ただ、高校時代は部活が忙しくて、男子バスケットボール部のマネージャーをしていたんですけど、インターハイまで行ったので、高3の夏まで受験勉強ができなかったんです。そんな中で筑波大には推薦入学の制度があったので、受験しました。言語学専攻があり、しかも受験時に専攻する言語を選ぶ必要がなかったのもよかったですね。 英語以外の言語、とは考えていましたが、できるだけ多くの人とコミュニケーションしたかったので、世界中でよりたくさんの人が使っている言語を学ぼうと思いました。それで、違う文化圏の国々でも使われているフランス語を選んだんです。音の感覚も好きでしたね。ただ、やはり発音はとても難しかったです。音声学や音韻論など、とても実用的な授業があって、それが役立ちました。 学生時代は、アルバイトをしてお金を貯めては海外旅行に行っていました。20カ国ぐらい行ったでしょうか。3年生の時、1年間休学してフランスに留学もしました。とにかく異文化コミュニケーションが楽しくて、将来の方向性も決まりました。 最初は、大手のメーカーなどを考えていたんですけど、海外で日本文化に関わる仕市原 淳子氏TSUKUBA ALUMNI和菓子の文化をパリから

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